怒りからの手紙

⋄気持ちを感じないようにしている時⋄

私が気持ちを”感じないように”している時、抑えているのは大概が「怒り」です。

「ここで怒っても、相手は聴く状態にないから我慢しよう」
「怒りを出してしまったら、抑えがきかなくなりそうだから、出しちゃダメ、出しちゃダメ…」
「怒っているなんてバレたらカッコ悪い。いい大人は怒らない!」

などなど、至極まともな理由により、感じないようにするのは得意です。
しかし、そういう時は”感じない”ようにしていることすら”感じていない”ものです。
当然ですね。
”感じない”ようにしているのですから。

でも、相手には伝わっています。
相手が感じるのは、何だか”冷たい感じ”だったり”距離を置かれた感じ”など色々ですが、要は”自分らしくない”のです。

そうすると、相手も自然に共鳴しますから、お互いの間にヒンヤリした空気が漂います。
自分自身は普通に振る舞っているつもりですから、なぜ空気がヒンヤリしてきたのかわからない。
相手が何だかよそよそしくなったようにしか感じられず、相手との間に自分も距離を感じ始めます。

悪循環ですねぇ。
とはいえ、元々は 良かれ と思って始まった”感じない”努力です。

だから大丈夫。
意識していれば段々に、「あ、今”感じないように”している」ということを感じることができるようになってきます。
このプロセスにはちょっと努力と時間が必要です。
私も練習中。

抑えてきた怒りも、大切な自分へのお手紙です。
感じない努力自体も、自分へのお手紙の別バージョン。

どのお手紙もちゃんと受け取って、読んであげましょう。
これまでお手紙を読みそこなってきたとしても、いつからでも始められます。

始めさえすれば、お手紙はいつでもどしどし届いていることに気づくことができます。

少し時間を取って、「いま、何を感じているかな?」と自分に話しかけてみてください。
お茶を飲んでほっと一息ついた時とか、トイレに座った時とか(結構おすすめのタイミングです)、自分に優しく問いかけてみてくださいね。

⋄久しぶりに怒りに震えた体験⋄

久しぶりに怒りに震えた体験がありました。

詳細は省きますが、約束を破られたこと、に対しての怒りです。
誰だって、約束を破ってしまうことなんてありますよね。
それは仕方がない。
でも、そこにひとかけらも「ごめんね」の気持ちが感じられない時、私はすっごく怒りを感じるのです。
そしてさらに、怒りをしっかり感じてしまうと何かと面倒!と無意識がお仕事してくれて、封印します。
これは私のパターン。

先日、もう何年も前に封印したはずの怒りを、思い出す出来事がありました。
封印していたなぁ~ということも一緒に思い出し、この際は向き合ってみようと思ったのです。

こんな時のためにできる事のツールは、いくつも勉強して身に付けてきました。
一つ、ワークを選んでやり始めたところ…
怒りの封印を解いたものだから、もうあったまにきてしまって、やり始めたワークのプリントをシャーペンでび~りびりに破っちゃった。

腹が立つ~!

これはプリントに向かい合うどころではない。
そこで、他の手を採用。
怒りの想いそのものをキネシオロジーの手法で解放。
ほんの1分もかからずにスーッと楽になりました。

は~ぁと、深呼吸したところで、改めてプリントに向かい合いました。
その延長に、ブログに書いた記事「ゆだねる」の体験があったのです。
いい人であろうと頑張りすぎてきた自分を、ゆるめるような感覚でした。

感情は、暴れ馬のように感じることがあります。
ものすごいエネルギーです。
だからこそ、そのお手紙をちゃんと読むことが、自分へのとても大きなプレゼントになるのですね。
色々勉強してきたこと全てが役に立つのだ、ということを我ながら実感した出来事でもありました。

今は、あんなに怒っていた相手の人に対して、しずかな気持ちで向かい合っています。
怒りをぶつけたりする前に、自分の中でちゃんとお手紙が読めてよかった。
そこは本当にほっとしています。




⋄アクマの声をちゃんと聴く⋄

誰かや何かを非難したり、批判する思いが、時々自分の中で湧いてくることがあります。
それらを、”アクマの声”と名付けています。
一言で言えば、怒りの声とも言えます。
そのアクマの声をしっかり聴いちゃうと、相手が親しい人の場合はケンカを売りかねないし、そうでない場合も自分が”感じの悪い人”になりかねない。
だから私は、あまりしっかり聴かないようにしてきた…みたいです。

…みたい、というのは、とても無意識にそうしていたのだということに、最近気づいたからなのです。
そりゃぁ、ケンカは売りたくないし、感じの悪い人にもなりたくないですから。
自分にとっては都合の良い作戦として、アクマの声は”まぁまぁまぁ”となだめながら脇に置いてきたわけですね。

ここで「喜怒哀楽からの手紙」を受けとりましょう!と言いながら、まだまだ私も受け取っていないものがあったということです(*_*;

しかしやはりちゃんと聴いた方がいい、と改めて気づかせてくれる出来事がありました。
少し前のことですが、とても信頼している知り合いが、仲間同士の集まりのためにレストランを予約してくれました。
私には食物アレルギーがあるのですが、それもちゃんとフォローしてくださって、なおかつ「心配だからご本人からもシェフに伝えてくださいね。なんたって何かあったら困りますから」と言ってくださいました。
有り難いなぁと思いながら、私自身もシェフに電話でご連絡。この時ランチの時間帯だったので、忙しいタイミングでご迷惑かも…とちょっと気になりつつ。
でもシェフもしっかり対応してくださって、安心して当日を楽しみにしていました。

さて当日、最初に出てきたサラダには、明らかに私が食べられないものがトッピングされていました。
トッピングを抜けばいいだけの話なので、私用には小さいお皿で別に出してくださるのかな?と思ったら、どうやらそうではないらしい。
その次に出てきたものは、私は口をつけられないものです。
お皿を運んできてくださった女性が「これにはちょ~っと卵が入っていますけど…」
いやいや、卵がちょ~っとでも入っていると私食べられません!
食べたら症状が出て苦しいのはワタシですから、食べません。それらは、他の仲間たちで私の分まで食べてもらいました。
5年前に突如食物アレルギーを発症して以来、あらかじめ食べられないものをお伝えしておいたにも関わらず、それが出てきたのは初めてのことです。そのことにまずびっくり。
その後のメニューは、一応食べられるものを出してくださいました。美味しかったです。全部。

カウンターの中にいるシェフは最後まで何もおっしゃいませんでした。
私も、何も言いませんでした。
でも、アクマの声は聞こえていました。
”プロとして、これはありえないでしょう”
”お料理はおいしいけれど、もうこのお店にはきたくない”と。
聞こえていたけれど、いつもの通りさらっと脇に置きました。
そのおかげで機嫌よく食事できました。

数か月たった後、くだんのレストランを予約してくださった信頼する知人(この方への信頼は揺らいでいません)とばったり会う機会がありました。
驚いたことに、開口一番「この間食事した後、体調大丈夫でしたか?シェフとも心配していたんです」とおっしゃるではありませんか。
「まったく問題ありませんでした」と伝えました。実際、食べられないものは食べなかったので大丈夫だったですし。
以上!という感じでその話は終わり。

でも後で思いました。
あの美味しいレストランにしてあの対応は勿体ない、ということをちゃんと伝えられたら良かったな、と。
ハラにある気持ちを伝えていないことで、何だか居心地の悪い思いが湧いてくるのを感じるのです。
でも、もしあの時伝えたとしたら、アクマの声をそのままの形で伝えちゃっただろうなぁ…。
シェフを非難したり批判する話として伝えることしかできなかったでしょう。だから伝えられなかったのですよね。

あらかじめアクマの声をちゃ~んと聴いていれば、そこに隠れている私の気持ち(大切に扱われなかった感じがして悲しかった)や、迷い(紹介してくれたレストランにケチつけるようなことにならないか)などとまず向き合っていたことでしょう。
向き合った後なら、自分が自分を大切にして、かつレストランにケチをつけることのないやり方で、「とても美味しいレストランだからこそ、あの対応は勿体なかったですね」と、伝えられただろうと思います。

何より、そうしていれば、信頼する人との間で自分自身が居心地の悪い思いを創らなくてすんだ。

でもまぁ、今回の件についてはそれほどたいした居心地の悪さではありませんから大丈夫。
今は、あのレストランにも、また行ってもいいなと思っています。
もし行くことになったら、きちんと「お手数ですが私用に食べられるメニューを別箇でお願いします(つまり、私を大切にしてね)」と伝えます!(決意)

いや~、アクマの声をちゃんと聴こう!という学びとしては大きなものでした。

それ以来、アクマの声にも耳を傾けるようにトライしています。
段々上手になってきた気がしますが、さらっと脇に置く技も併用中。
どちらもお役立ちですから(*^^*)


⋄弱くてもダメでもいい その3⋄

ある日、お子さんに笑えなくなってしまったことから、自分の中にずーっと抑えつけてきた怒りがあることに向き合ったAさん(40代後半女性)のその後です。昨日のことを朝一番にシェアしてくださったので、許可を得てさっそくご紹介します。

 

自分の中の弱いと感じる部分、ダメだと感じる部分を受け入れつつある中、お子さんとは相変わらず笑えないし、必要なこと以外は話せない状態が続いていました。その期間約一か月。

もう成人しているとはいえ、お子さんだってお母さんのその状態はつらいものがあるでしょう。

お子さんの様子も気になりつつ、でもだからといって”義務感”で笑ったり話しかけたりするのはやめよう!と決めて、ただただ自分の気持ちと向き合っていました。

つまり、何となく気持ちを感じるのではなく、その都度、喜怒哀楽からの手紙を受け取るワークを行っていました。

 

昨日、お子さんが明日朝早く出かけることを家族と話しているのを小耳にはさんだAさん。

今年一番の大型台風が襲来する、その真っただ中なのに出かける…心配になって、どうしても話しかけたくなって、とても自然にやわらかい声でお子さんに「コート貸そうか?」と声をかけたそうです。

お子さんは、やはりやわらかい声で「いらない」と答えました。

 

義務感でも、責任感でもなく、ただ声をかけたくてかけた時、Aさんはとても嬉しかった。

怒りからの手紙を受け取って、ずっとワークしてきたけれど、ついついお子さんを責めたくなる自分がいたそうです。

”人を責める自分”を責めそうになるのだけれど、そこは”ダメでもいい”わけですから、「そうなんだなぁ」とただ受け取る。それを繰り返して、やっと昨日ただただ自然に話しかけることができた。

 

結局、弱くてダメな自分と仲直りしたような気がします、とAさんは語ってくれました。

お気づきかと思いますが、Aさんは弱くてダメな自分を受け入れることで、どんどん自由になっていっていますよね。

Aさんが、大切な価値観の筆頭に挙げていたのが「自由」なのです!

 

また後日談を楽しみにしたいと思います!

 

 

⋄弱くてもダメでもいい その2⋄

⋄弱くてもダメでもいい⋄の続きです。
怒りを抑えきれなくなってお子さんに笑えなくなった40代後半の女性(Aさん)は、そうなってみて初めて、どれだけ自分が怒っていたのかに驚いたそうです。

怒りを感じること自体を悪いことだと思っていた。
そしてもし怒りをちゃんと感じてしまったら、子どもに対してちゃんと「親」として接することができなくなってしまうのではないか、という怖れもあった。

だからこそ、とても頑張って怒りを感じないように見ないようにしてきたのです。
そのこと自体が良かったか悪かったか、効果的だったか否かはともかく、Aさんは”良かれと思って”本当に頑張ってきたのでした。
そしてついに怒りをしっかりと受け取ったAさん、その「怒りからの手紙」にはこう書いてあったそうです。
「弱くてもいい。ダメな自分でもいい。」

Aさんは、弱い自分、ダメな自分を否定するあまり、お子さんにだけは弱くもダメにもなってほしくなかったのですね。
だからこそ、頑張ってがんばってお子さんにしつけしようとし、ダメと感じる部分は早いうちに直してあげなくっちゃ!と力を注いでいたのです。

それに気づいた時、肩の力が抜けました。息を詰めるようにして頑張ってきた自分、弱いところもダメなところもある自分を、ただそのまま「そうなんだね~」と見つめる感覚。

Aさんは、今その時間を大切にしています。

お子さんとの関係がすっかり気持ちのいいものになったかというと、まだ引っかかりは感じるけれど、力が抜けた分楽になっているそうです。
Aさんのその後を楽しみに見守りたいですね。
後日談が届いたら、また許可をいただいてお届けしますね。

 

⋄弱くてもダメでもいい⋄

子育てに頑張ってきた40代後半の女性(Aさん)がシェアしてくださった怒りからの手紙です。


わが子が社会に出た時に苦労しないよう、きちんと暮らしていけるように、とそれを大切に考えていたAさんは、子どもが約束を破ったりきちんとした態度を取らない時には、強く叱っていました。
しかし幾ら言い聞かせても、わが子の態度はあまり変わりません。
段々と怒りが強くなってきて、わが子ながら本当に嫌になってしまうことがたび重なっていたそうです。

せめて、実母にそんな気持ちを話してはストレス解消しようとしていたAさんですが、実母からはいつも「親なんだから、あなたが我慢しないとね」と諭されます。
とにかく毎日気持ち良く暮らしたいAさんは、怒りは抑えつけたまま子どもに仲直りのための声をかけ、やり過ごしてきました。

しかし数十年の気持ちがある日抑えきれなくなります。
「怒っている」という自分の気持ちが心の中で膨らんできて、無視できなくなりました。
子どもに笑えなくなってしまったのです。

~明日に続きます~

 

 

⋄「べき」過ぎて届く手紙⋄

人はこうある「べき」。社会人はこうで「なくっちゃ」。親たるものこう「しなくちゃ」…など、
様々な「べき」を、持っていませんか?

「べき」と考えること自体が悪いわけではありません。
私自身、「べき」に支えられている部分が確かにあります。
(たとえば、母として家族の食事はバランス良く作る「べき」だから、実は面倒だと思っていても彩りのよいメニューを考えるとか)

とはいえ、「べき」「べき」が優先されすぎてバランスが悪くなってくると、「怒り」のお手紙が届くことがあります。

自分が考えている「べき」に添わない人に対する怒り。

自分にはめた「べき」の枠から、実は出たいのに出ない自分に対する怒り。などなど。
そんな時は、自分からの気持ちの手紙をよ~く読んでみてください。できれば、「べき」を一時脇に置いて。


「べき」は脇に置いてもいつでもまた戻すことができますから、安心してまずお手紙を読んでみたら、新たな視野が開けてくるかもしれません。
何となく深呼吸するような感覚があったり、自分の声が弾んでいるように感じたら、次の一歩を考えてみましょう。

 

 

⋄悶々とした気持ちからのメッセージ⋄

最近、毎日悶々とする時間が増えていました。
昔からの大切な仲間との間に、なぜか溝を感じてしまう。
次に会う約束もしているのに、そのことを考えると気持ちが重くなる。
何だかいやな想像ばかり浮かんで、そんな自分にも腹が立ってきた!

居てもたってもいられず、この気持ちを(あんまり気持ちいい感情ではないけれど)じっくり感じてみることにしました。
コーチと共にじっくり気持ちに付き合ってみた結果、ふとはっきりしたことがありました。
それは、”何かがおかしい”と思った時は、必ずと言っていいほど”自分が間違っている”と根拠もなく思い込むという自分のクセ。
それは仕事上の会議でも、プライベートで友達と話している時でも関係なく、そうでした。
相手が勘違いしていたとしても、自分が間違っている、と思い込む…するとどうなるかと言えば、仕事上では軌道修正が遅れていたずらに時間がかかることになります。
友達同士では、なぜか自分が悪者になっちゃったり…理不尽さを感じてモヤモヤします。
そんな自分に益々がっかりして、”やっぱり自分が間違っていた”と、益々思い込みに拍車がかかるという悪循環。

けれど今回、それがはっきりと見えました。
単なる自分の思い込みだったんだ!と。

自分が間違っているかどうかは、どうでもいい。
何かがおかしい、と思った時は、ただシンプルに声に出せばいい。
本当に自分が間違っていれば、それは「失礼しました」と取り下げればいいだけのこと。
何かがほんとうにおかしければ、すぐさま対処できて万々歳。

あぁ、自分を大切にしていなかったなぁ。

随分気持ちが晴れ晴れした。
ここ最近感じていた悶々とした気持ちや腹立ちは、この自分のクセに「そろそろ気づけよ~!」という自分からのメッセージだったということ。
あんなにうっとうしく感じていたこれらの気持ちが、有り難いプレゼントに思えてきた。
生まれ変わった気分です。

                          (ご本人の許可を得て掲載しています)

⋄親の願い⋄

お母さんたちに依頼されたワークショップでのことです。

集まってくださったのは幼稚園のお子さんがいらっしゃるお母さんたち。

 

私もそうでしたが、毎日の子育ては本当にハードワーク。それはお仕事の有無にかかわらず、お話を伺っていると、それぞれのご家庭なりのハードさがあると感じます。

できれば感情的に叱ったりしたくないし、イライラなんてしたくない、というお母さんたちに、イライラや怒りの根っこにある”わが子への願いや期待”を棚卸しするワークをしていただきました。

 

グループで怒りからの手紙ワークをしてみて

怒りは、本当に大切にしたい想いや価値観が 大切にされていなーい! 大切にできていなーい!と感じる時に湧いてきます。

そのおおもとは生命力なのだそうです。

だからでしょう、部屋の温度が一気に上がった感じがするくらい、お母さんたちは話していくにつれてエネルギー全開!

そしてあちらこちらから、「期待しすぎていたかも」とか「実は自分の気持ちを抑えていた」などの声が聞こえてきます。

わが子を想う気持ちが強ければ強いだけ、イライラや怒りも強くなるもの。根っこの願いに気づくことができれば、その気持ちのエネルギーをお互いにとってイイ形で活かしていけますね。

 

怒りを感じると、ついついそのきっかけとなった相手のことを攻撃する気持ちが湧いてきがちです。その気持ちのままに相手に向かってしまって、後で後悔することはよくありますよね。

相手は、きっかけとなってくれただけ。

何のきっかけかというと、自分自身が本当に大切にしたい想い、価値観を、自分自身が大切にしていませんよ~♪ だから見直しましょう~♪ と、自分に気づき向き合う時間を取るためのきっかけです。

 

お母さんたちは、エネルギー全開でお互いの話を共有した後、一番大切にしたい想いを、具体的に毎日の中でどんな風に大切にするか、まで考えて共有しあい、元気に部屋を後にしていかれました。

笑顔が輝いていて、ステキでした。

がんばれ!お母さんたち!!

 

 

⋄怒って疲れてワークして⋄

 

このところ、怒りを感じる機会が増えていました…しかも、これまで抑えてきた怒りが一気に噴出するような激しさを伴って。

腹を立てると、脳内のノル・アドレナレリンという毒性の強いホルモンが発生します。コブラの毒の七、八倍ともいわれるこのホルモンは、大量に活性酸素を発生させます(注1)。活性酸素は、通常の呼吸でも発生するものではありますが、大量発生はがんの原因にもなりうると言われています。

そのせいかどうか、精神的にも身体的にも疲労が蓄積しているのを感じ始めました。

これはいけない、ということで、「怒りからの手紙ワーク」を丁寧に実施してみました。

 

怒りからの手紙ワークで気づいたこと

怒りからの手紙についてワークするときは、特に自分自身が大切にしている価値感…それなのにおろそかにしているもの…や、心が今声を大にして求めているのに感じないようにしている何か、が明らかになることが多いものです。

 今回、届いたお手紙に書いてあったことは

「私は尊重される必要がある」

「私は利用されない」

「私は自分の内側にエネルギーを感じたい」   などでした。

 

次の一歩

これらのメッセージを受け取って、特に気になり度合が高い懸案事項について、関係者に打ち合わせの時間を取ってほしい旨を連絡しました。ワークを終えてみると、まずは自分で自分の気持ちを尊重するために何が必要かに、自然に気づきました。さっそく行動を起こしたわけです。

 

怒りの噴出を味わって、とても疲れを感じていたこの数日でしたが、今はまるで台風が過ぎ去った後の快晴の空を眺めているかのごとくさわやかな気分です。

もっと早くワークをしていればよかった!と我ながら思いますが、渦中にいる時はそれすら頭からすっ飛んでしまうものですね。

 

(注1)「自愛の手引書 養生事始」玄侑宗久著 清流出版 より

個人セッションで「喜怒哀楽からの手紙ワーク」をご希望の方は、「お問合せ」からメッセージを送ってください。                                                                    

 

⋄何で私ばっかり?⋄

仕事を引き受けすぎて、自分で「やります」と言ったことにも関わらず、もう手一杯になってしまった。

段々腹が立ってきて、

 

何で自分ばっかりこんなに忙しくしなくちゃいけない?

あの人はもうちょっと手伝ってくれてもいいんじゃない??

 

と心の中で八つ当たりする始末。

 

あーもうやだ!

「怒りからの手紙」ワークで気づいたこと

意外なことに

人生文句言わずに生きろよ!

頼らず、甘えずやれよ!

 

と自分を叱咤激励する声が返ってきました。

 

そして次に

人を助けるんじゃない。自分の人生を生きろ!

と。

 

 

自分への願い

浮かび上がってきた自分へのメッセージは、

 

自分は「無力」だと思っていた。心の底では、誰かになんとかしてほしいと願っていた。

 

ということでした。

いい加減、自分には力が無い、という思い込むのを手放して、とにかく一生懸命やってみろ!と「怒り」は訴えてきてくれた。

 

 

次の一歩

次の一歩は何だろう?と自分に問いかけてみた。

返ってきたのは「笑顔」の一言。

一ミリでいいから、笑顔と共にまず進んでみろと。

 

自分、かなり体育会系なメッセージを投げてよこしてくれました。

毎日一ミリずつでいいから、鏡の自分に笑顔を投げてスタートしよう、と決めました。

⋄寝不足でも頑張って作ったお弁当⋄

寝不足で作ったお弁当

この二日間忙しくて、一日4時間しか寝ていない。

眠い!疲れた!

 

土曜日、部活に出かける娘のために

頑張って早起きし、お弁当を作った。

 

それなのに、娘は”ありがとう”の一言も言わずに

何か気に入らないことがあったのか、

不機嫌にお弁当をひっつかんで出かけて行った。

 

頭にくる~!

 

「怒りからの手紙ワーク」で気づいたこと

 

日頃、自分が無表情でいることが多いことに気がついた。 心の中では義務感や相手を責める気持ちが渦巻いていることを悟られないように頑張った結果。

 

思えば、子どもが生まれてからというもの「24時間365日私にはお休みがない!」とよくぼやいていた。今やそれすら当たり前のように思い込んでいたのだ。

自分に「お休み」の時間をプレゼントしたい、という切実な願いがあることに気づいた。

 

次の一歩

スケジュールノートに、何年振りかで「休日」マークを入れた。

この日は自分をいたわる日。そう思ったらとてもほっとする自分がいる。

あぁ、お休みの日が楽しみだ!

怒りからの手紙、お休みしよう。

(文:斉藤知江子)