哀しみからの手紙

⋄素直だからこそ⋄

哀しいな、と感じる時…それは自分に素直になっている時とも言えるかもしれません。
素直に哀しみを感じないようにしていると、その場はやり過ごせても後になって、怒りという形でど~んと現れてくることがあります。

”怒りからの手紙”を受け取ってちゃんと読んでみると、そこには”哀しみ”があった、ということもよくあります。
きっと、必要にかられてやり過ごしたであろう気持ち、たとえ怒りとしてでも、その時お手紙をしっかり受け取れば大丈夫です。

哀しいな、寂しいな、と思う時
涙が流れそうになる時

そんな時は、人前ではぐっとガマンしてしまうかもしれませんが、ちょっとトイレにこもったり、1人になれる空間と場を見つけてくださいね。
ただただ、心にある気持ちを受け取って、大切にしてあげてください。
出てくる涙は、そのまま流してくださいね。

しっかりと受け取って初めて感じる気持ちもあるでしょう。
それが、”哀しみからの手紙”のメッセージなのかもしれません。
人によって、お手紙からのメッセージを受け取る時間は違うと思いますが、私の場合は長くても10分あれば、気持ちはまったく変わっていることが多いようです。

写真は、花いかだという木です。
葉の真ん中に花が咲く面白さ。
大きな葉っぱの真ん中でゆったりと過ごすような気持ちで、どうぞ、ご自分にゆっくり”気持ちを感じる時間”をプレゼントしてください。

⋄この気持ちに気づくためだった⋄

数十年来の付き合いの人(Aさんと呼びます)との間で、あることがきっかけで気まずい思いを味わった。
大切な人だからこそ、すぐにきちんと話して事柄としてはスッキリ片付いたと思っていた。
それなのに、気持ちがモヤモヤとして晴れない。
Aさんのことを思い出すと、お腹のあたりが重たくなってくる。
以前だったら気軽に誘っていたランチやお出かけも、足が遠のいて半年以上行っていない。

「喜怒哀楽の手紙」ワークに加え、「タイムラインセッション」も組み合わせて深く気持ちを見つめてみることにした。

ワークから気づいたこと

実は、”きっかけとなった出来事”の起こる20年くらい前に、Aさんと同じくらい長い付き合いのBさんのことで、悩んだ時期があった。
Aさんも一緒に心配していて、Bさんを主にサポートしていたのはAさんだった。
その時のBさんに対して私が感じていた”この人はどうなってしまうんだろう”という不安。
”ひょっとしたら自分にもとばっちりが来るのではないか”という怖れ。
そしてそんなことを感じている自分を嫌だと思う自分。
ずっと押し込めていたそれらの不安や怖れが、さーーっと涙を伴って出てきました。

実は、この気持ちに気づいて流したがっていたのだ、ということが、話してみてわかりました。
気づいて流して手放したかったのですね。
Bさんとはもうすっかり元通りになって10年以上たつのに、気持ちはその後もため込んでいたのです。
驚きでした。
Bさんと仲良くお付き合いできるために、まずはネガティブな気持ちを感じるきっかけになりそうなことは忘れようと無意識で頑張っていたのでしょうね。
よく頑張りました、自分。

その後は、同じ出来事を思い出してみてもお腹の苦しさはまったくありません。
Aさんと、またランチの約束もしました。

気持ちの伝えるメッセージの奥深さと智恵深さに、

改めて驚いた「喜怒哀楽からの手紙」でした。

⋄今がタイミング⋄

以前から興味のあったワークショップに参加して学んだ時。

すごくためになると実感して嬉しい!と思うと同時に、あ~、これをもっと早く学んでいたら、子どもとの関係を筆頭に、家族との関係に悩むこともなかっただろうな…とちょっとだけ哀しい残念な感覚を味わった。

 

心の中で、自分の頭を”ヨシヨシ”と撫でてあげるイメージを持ちながら、そのちょっとした哀しみを味わってみる。

一番浮かんでくるのは子どもたちの姿。子どもにとってステキな母でいてやりたい、と思っているのだねぇ、自分。そういえばコーチングを学び始めたのもこの想いが学びの原動力になっていた。

 

では、子どもがずっと小さい頃から、私自身が”悟ったようなたくさん学んだ人”になっていればよかったのか?

多分違う。

私がこれまでの私であったことが、子どもが子ども自身の人生で学ぶ必要のあるテーマの環境設定になっていたはず(これは昨日まで参加していたワークショップで学べたことです)。

 

私と、私と共に生きるたくさんの人たちは網目のように一つの織物を成している。

すべてがちょうどいいタイミングで起きている。

だから、大丈夫っ♪

 

 

⋄私は必要ないのかな?と思った時⋄

打ち合わせの日程相談をしていた時、ある人が「私は○○さん(私ではないプロジェクトメンバー)さえ都合がよければいいですから」と繰り返しメールで連絡してきた。
なんだかガックリ。
私は必要ないのかな、なんて思ってしまう。


背中が丸まってきて、力が抜ける。
さみしいな。

 

【哀しみからの手紙ワークをしてみて】
身体の感覚や気持ちをしっかり味わってみると、小さい頃の事を思い出した。
母に怒られた後、ごめんなさいの気持ちを伝えたくて、きれいなリボンをお花の形にして母の買い物カゴにくくりつけた。
母はこれを見たらなんて言ってくれるかな。
ワクワクしながら様子を伺っていた。


いざ母が買い物へ。買い物かごを手に取った!
しかし何の反応もなし。

あれ?

気づかなかったのかな?

 

買い物から帰ってきた母にリボンの飾りを指さしながら「これつけた」と言ってみた。
「うん」と一言返ってきただけ。


気に入らなかったのかな。さみしくなっちゃった。

 

ここまでノートに書いた時、今度は娘との出来事が一気に蘇った。
小さい頃の母と同じことを、娘にしてしまったことがあった…。
母として娘の気持ちに応えてやれなかったことを思い出して、胸が詰まるし申し訳ないしで、机に突っ伏してしまった。

 

この出来事についてもまた”哀しみからの手紙ワーク”をしてみて気づいたこと。
(ワークのプロセスを割愛しているので唐突感があるかもしれませんが)
哀しさや申し訳なさを感じた時の私のクセは、”もっと哀しさや申し訳なさを味わおうとすること”だと気づいた。
喜んでしまったら、悪いような気がしていた(10代の頃、彼氏にお別れを告げた後”もう一生笑っちゃいけないんじゃないか”と本気で思った)。

 

しかし違う!
私は喜びにつながっていたいと思っている。
それも自分だけの喜びではなく、相手と一体感のある喜びのスペースに。
そのスペースへのつながり方は、すでに自分が知っていることにも気づいた!

 

次の一歩】

すでに知っていた”喜びのスペース”に、意識的につながる時間を持つことを決めた。

毎朝窓を開けて深呼吸する時、駅へと歩いている時、買い物に行くとき、などにやってみよう!
明日が楽しみになってきた。

 

⋄自分に声をかけていなかった⋄

お茶の好きなメンバーが集まって、楽しい食事の後のリラックスタイム。

多めのお湯を沸かして、急須にたくさん注いで食卓に持って行った。

楽しそうに話している人。テレビに見入っている人。

 

そんな中「この急須にたくさんお茶を淹れたから、良かったらどうぞ」 と声をかけた。

 

誰も返事をしない。

あれ?と思いながらもう一度声をかける

 

やはり誰も返事をしない。 何だか悔しい想いと共に、別室に移動しようとするも、もう一度戻って3回目の声をかけた。

「ここにお茶があるからね」

 

一人が返事をした。

「わかってるよ」

鼻で笑ったように見えた。

 

のどが重苦しくなってきた。哀しさがこみあげてくる。

 

「哀しみからの手紙ワーク」で気づいたこと

私は、みんなに喜んでもらいたかった。

「どうぞ」と差し出した贈り物に見向きもされていない、と感じた時の哀しみを、それでもしっかり受け取ってみると…

 

「私はここにいるよ」「気づいてください」 と、心の底で一生懸命呼びかけている自分がいるような気がする。

 

誰に呼びかけているのか…。

聴いているのは誰なのか?

 

驚いた。気づいてみれば当たり前のことだけれど、それは、自分だった。

 

自分への願い

私は、私を喜ばせたかった。

みんなの喜ぶ顔を見ることができたら、一番自分が喜ぶことを知っているから、美味しいお茶を淹れたんだよね。

 

それなのに自分たら、自分自身には一言も声をかけずに、人から声をかけてもらうことに一生懸命になっていたようだ。

「ありがとう」

「いてくれて嬉しい」と。 

 

次の一歩

それでは、心の中で自分にたくさん声をかけましょう。

「いいぞ!」

「美味しそう!」

「えらかった!」

 自分で自分に、しかも心の中で言うのだから、ほめちぎっても何の問題もない。

 

今月は、自分にたくさん”応援と励ましとお褒めの言葉”をかけると決めた。

⋄お父さん、ごめんね⋄

大平光代さん著「だからあなたも生き抜いて」

を電車の中で読んでいた。

 

著者の気持ちが素直につづられていて、

とても共感できる。

 

夢中になって読み進むうち、

大平さんの実のお父さんが

ガンで亡くなられたというエピソードになった。

 

お父さんの発病を知って、

自分を責める言葉がつづられている。

「お父ちゃんをガンにしてしまったのは、私や。

私さえ、あんな親不孝なことして

心配や苦労ばっかりかけへんかったら、

お父ちゃんガンなんかならへんかってん。

私が悪いんや」

 

大平さんの祈りむなしくお父さんは亡くなられた。

享年70才。

その数字を見たとたん、気持ちがグラっと揺れた。

私の父はやはりガンで亡くなっている。61才だった。

 

大平さんのお父さんよりずっと若くして亡くなった父のことを思った時、大平さんの”自分を責める“という気持ちが波のように伝染してくるのがわかった。

 

私自身が父に言った言葉、病院で私の結婚式までに治そうと頑張ってくれた父の姿、

以前言ってしまった心ない言葉、言わないままだったこと、

色々なことが思い出されてきて、電車の中だというのに涙が止まらなくなってしまった。

胸がふさがれるように苦しい。

 

「哀しみからの手紙」ワークで気づいたこと

父のことに限らず、

随分と自分で自分を責める気持ちを抱えていた。

 

十分責めてきた。

自分を責めることって、”まし”な自分になるための道のように感じていた。

もうそれは終わりにしたい、と願っている自分がいる。

そろそろ赦してみよう。

 

結構勇気がいるけれど。

赦しちゃっていいのか、とドキドキするけれど。

 

次の一歩

自分を責めていることに気づいたら、おでこを3回たたいて「責める気持ち」を手放すと決めた。

それだけで肩の力が抜ける。

(文:斉藤知江子)